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日本映画の巨匠たちが選んだロケ地は今【木下・川島編】

川島雄三監督『幕末太陽伝』~今も変わらず残る品川の荒神様

 古典落語「居残り佐平次」「品川心中」などをベースに、幕末動乱期、品川の遊郭を舞台に繰り広げられるさまざまな騒動を描いた川島雄三監督の傑作喜劇『幕末太陽伝』(1957)。

Story:明治まであと6年の文久2年。東海道品川宿の遊郭「相模屋」で仲間とともに豪遊した佐平次(フランキー堺)は、実は無一文なのに平気の平左。そのまま宿に居残って、番頭のごとくあちこちで要領よく立ち回ってはご祝儀で稼ぐようになる。同じ女郎に入れあげた親子の喧嘩、高杉晋作(石原裕次郎)ら攘夷派志士たちの英国公使館焼き討ち計画など、なんでもうまく手助けしてしまう佐平次。すっかり頼りにされるようになったころ、佐平次の長逗留も潮時に……。

 幕末のお話でありながら、冒頭のタイトルバックには現代(といっても映画が制作された1957年)の品川宿、京急本線・北品川駅周辺(東京都品川区)の様子が映し出されます。

冒頭に映し出される品川宿入口八ツ山橋あたりの現在(撮影:Avanti Press)と現在の品川宿(あおぞら/PIXTA)

 「相模屋」は旧東海道沿いに実在した飯売旅籠(女郎屋)。撮影当時には「さがみホテル」となっており、「土蔵相模跡 良い安い 実用旅館 江戸の名所さがみホテル」の看板を見ることができます。相模屋は外装がなまこ塀の土蔵造りだったことから、地元で「土蔵相模」と呼ばれていたのだとか。現在はホテルもなくなり、この場所には1階にコンビニエンスストアが入ったマンションがあります。

コンビニになっている相模屋跡(撮影:Avanti Press)

 相模屋の客室の戸を開けるとすぐ下が海だったように、当時は東海道のすぐそばまで遠浅の海が広がっていました。江戸時時代後期から始まった東京湾の海岸埋め立ては明治に入ってさらに本格化し、明治5年に埋め立て地に品川駅が誕生。現在、北品川より東京湾側には埋め立て地である東品川、天王洲アイル、品川ふ頭があり、海岸は遥か遠くになりました。

屋形船が並ぶ品川の舟だまり。江戸時代には海苔の養殖も盛んだった「品川浦」(撮影:Avanti Press)

 相模屋の人々がこぞってお祭りに出かけて行った「荒神様」とは、北品川から徒歩20分くらいの南品川に現在も同じ姿を残す「海雲寺」(品川区南品川3-5-21)。ここで3月と11月に行われる千躰荒神祭には、映画でも描かれているように一日中護摩が焚かれ、大勢の参拝者が訪れます。

春と秋に行われる千躰荒神祭では、露店や参拝者で賑わう海雲寺(blackie0335/PIXTA)

 幕末と1950年代と現在。映画を見てからこの地を訪れると、3つの時代をまたいだ不思議な感覚になります。

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