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千と千尋に大人も癒された? スタジオジブリ作品の舞台を探して【国内編2】

抽象画のように楽しむ映画『崖の上のポニョ』

 海に囲まれた崖の上の一軒家に、母と暮らす5歳の宗介。そんな宗介と、彼に一目ぼれする魚の女の子・ポニョが手を取り合って嵐の危機を乗り越えるファンタジー『崖の上のポニョ』(2008)。「ポーニョ、ポニョ、ポニョ」と名前を連呼する歌が映画公開前から大ヒット。相乗効果もあって、映画も興行成績約155億円の大ヒットとなった。

 舞台は、海沿いの町。モデルといわれる広島県福山市「鞆の浦(とものうら)」に、宮崎駿監督は数回滞在している。最初は2004年のスタジオジブリ社員旅行で、次の2005年は海近くの古民家に1人で2カ月。『崖の上のポニョ』の構想を考える際は、この際に見聞きした海の様子や街並みがヒントになったと語っている。

鞆の浦の全景(Michey36/stock.adobe.com)

 物語はかなり奇天烈だ。海底に暮らし潜水艦「ウバザメ号」を操る魔法使いの父親・フジモトと海の女神・グランマンマーレの子として生まれたブリュンヒルデ(ポニョ)が、陸の世界に興味を持って家出。波打ち際でジャムの瓶にはまっていたところを宗介に助けられ、瓶を割った宗介のケガをなめて半魚人に。同時に宗介を気に入り、人間の女の子になりたいと願うが、フジモトに連れ戻される。

 宗介の母親・リサはデイケアサービスで働いている。父親の耕一が不在なのは、貨物船の船長だから。宗介は両親をファーストネームで呼ぶ。耕一は船が寄港しても帰宅できない夜があると、自宅にいる宗介やリサとモールス信号で会話(ときに夫婦喧嘩)する。

瀬戸内海の真ん中に位置し、対岸には香川県荘内半島が見える鞆の浦は、江戸末期、紀州藩の船と衝突して沈没した、海援隊の船「いろは丸」の補償交渉が行われた地。また古くから潮待ちの港として繁栄し、いまも小型船の造船所「本瓦造船」がある、海と船に密接に関わってきた町だ。

 映画にも、リサの運転する車が、造船所に押し寄せる波を避けながら家へとひた走る印象的なシーンがある。リサが嵐を押してでも帰ろうとしたのは、崖の上の家には「真っ暗な中の灯台」としての役割があるから。海と人間、海で働く者と陸にいる人間の距離が近く、助け合わなければ生きていけないことが描かれる。それは鞆の浦に滞在中、宮崎監督が感じたことなのだろう。

海援隊の「いろは丸」を模して作られた「平成いろは丸」(Tomatoya/stock.adobe.com)

 なぜここに、この景観ができあがり、他の場所とは少し異なる特別な役目を果たすようになったのか? その答えは、そこで起きた出来事を歴史の層として眺めたときに見えてくる。ロケーション撮影全般に言えることだが、映画監督はその景観や歴史を作品の演出に活かすことで、観客の心の奥深くに物語を届けることを試みる。人々が生きてきた証が物語に活かされるから、ロケーション撮影、および舞台になった場所のある映画に、ひと味違った面白さがあるのだ。

 鞆の浦に長期滞在した宮崎監督の目になにが見えたのか? 鞆の浦だけでなく、瀬戸内海という場所から見えてきたものが、『崖の上のポニョ』に投影されているのではないだろうか。

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