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【映画で仮想旅行】名作で観る世界の橋② 橋で生まれた愛はどこへ行く?

 国と国、州と州、県と県、市と市。たいていは、なにかを分かつ境となっている川。そこにかかる橋は、単純に人を向こう岸に渡すだけでなく、かなり重要な使命を帯びていることが多いものです。物理的な用途だけでなく、あの世とこの世、現在と未来を結ぶ役目なんかも担っていそう。今回も橋が印象的な映画から世界の橋を見ていきましょう。

『ポン・ヌフの恋人』どこへも渡れない橋

 フランスはパリ、セーヌ川の中州であるシテ島を中継し、右岸と左岸をつなぐポン・ヌフ。文字通り“新しい橋”という意味ですが、竣工は1607年。決して新しくはありません。ただシテ島に人が住み始めたのは、紀元前250年頃。ローマ帝国の支配下にあった紀元前52年頃でも、シテ島と両岸を結ぶ橋はプティ・ポン、グラン・ポンと呼ばれる橋しかなく、17世紀に作られたポン・ヌフは文字通り、待望の新橋だったわけです。

 さて『ポン・ヌフの恋人』(1991)。不眠症で孤独な火吹き大道芸人アレックス(ドニ・ラヴァン)と、失恋と失明の恐怖から家出した空軍大佐の娘で画学生のミシェル(ジュリエット・ビノシュ)の、むき出しの恋愛を描いています。出会う可能性の少なかった2人が出会い、暮らしたのが、このポン・ヌフ。

まだ恋人たちの魂が踊っていそうなポン・ヌフ(Fred/stock.adobe.com)

 「修復のため通行止めになっているポン・ヌフ」という世界で、未来への絶望、嫉妬、愛の不確かさへの不安に怯える男女が、疾走し、燃焼し、落下する姿を、レオス・カラックス監督が描きました。南仏モンペリエに再現されたポン・ヌフとパリの町並みは、フランス映画史上最大のオープンセットだったのだそう。

 2度の撮影中断、スケジュールの遅れなどでふくらむ製作費、事故、破産、実生活の恋人でもあったビノシュとの破局……。いまは亡き監督の盟友、撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエは、製作中に起きたこととカラックスの心情を光と影で写し取り、甘くて痛い記憶に変換させています。

 圧巻は革命200年祭の夜、アレックスとミシェルが花火を背景にポン・ヌフで踊るシーン。夜空に散る花火と「美しく青きドナウ」に反応し、狂瀾のダンスを踊る2人の姿は、ただ深く記憶に刻み込まれます。

 本来、あちらとこちらを結ぶ橋。しかし、本作では、どこにも行けない人々を抱擁する場所として描かれています。カラックス監督が、なぜポン・ヌフをロケ地として映画を撮ろうと思ったのか、観るたびに考えずにおれません。その昔のポン・ヌフには、実際に大道芸人が芸を披露する見世物小屋や、露店があったとのこと。セーヌ川沿いに店を出す露天本屋“ブキニスト”はその名残なのだとか。極めて映画的な橋のポン・ヌフでは、ロベール・ブレッソンの『白夜』なども撮影されています。

『マディソン郡の橋』次世代に繋がる橋

 観た年代や時代によって映画から受け取るものが変わるといいますが、『マディソン郡の橋』(1995)もそんな作品なのかもしれません。

 1960年代のアイオワ州の片田舎。屋根のある橋(カバーブリッジ)の写真を撮りに来た中年カメラマンと、平凡な主婦との4日間の恋が描かれます。カメラマンのキンケイドを本作の監督も務めるクリント・イーストウッドが、イタリアのバーリ出身でナポリ駐屯のアメリカ兵と結ばれて渡米、以来アイオワ州ウィンターセットから出たことのない主婦フランチェスカをメリル・ストリープが演じています。

 キンケイドが撮りに来たのは、川に架かるローズマン橋。屋根は橋の寿命を延ばす目的と言われています。実際、カバーブリッジには100年近いものも多いとか。屋根がない木橋の一般的な寿命は20年足らずだそうです。アメリカのカバーブリッジの多くが1820年~1900年に作られたものらしいので、キンケイドが撮影した時点で少なくとも半世紀以上経っているわけです。

 実際のローズマン橋は、1883年に建設。1976年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定され、1992年に改装。撮影はそのすぐ後に行われました。

フランチェスカからの手紙が貼ってありそうなローズマン橋(jerzy/stock.adobe.com)

 キンケイドに訊ねられ、フランチェスカは答えます。橋の存在は知っているものの、わざわざ行ったことはないと。彼女にとって“ローズマン橋”は流れていく日常の一部でした。その後、キンケイドとの4日間を経て“特別な橋”となります。

 それはフランチェスカが、生きてきた自分を誰かの心にとどめたいと思うようになったから。もちろん、キンケイドによって気づかされた恋がそうさせたこともあります。でも、大きかったのは、イエーツの詩が好きで美しいバーリの旧市街を愛していた若き日の自分を、4日間で思い出したからではないでしょうか。

 フランチェスカの遺書に書かれていた内容は「火葬にして遺灰をローズマン橋から撒いてほしい」。映画の冒頭で、この常軌を逸した亡き母の遺言に怒りまくった兄妹は、母のノートを読むうちに自分の人生も解き放ち、穏やかな気持ちになっていきます。

 人はそっと生きて、そっと死んでいくもの。でも、せめてほかならぬ家族には本当の自分を知ってほしい。『マディソン郡の橋』とは、人が生きた記録についての映画なのかもしれません。鉄の橋が一般的になる前、次世代も使える橋として設計されたカバーブリッジは、フランチェスカの思いを次世代に橋渡しする場所にもなりました。橋が主役の映画は、深く考えさせられる作品が多いような気がします。

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