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【個性的すぎる映画館】市民出資の映画館として35年! 「フォーラム山形」の紆余曲折

 東北と栃木に10館の映画館をもつ「フォーラムシネマネットワーク」。その始まりの地であり、総本山ともいえるのが「フォーラム山形」だ。クラウドファンディングがまだ生まれる前、日本で初となる市民出資の映画館として誕生してから今年で35周年。その紆余曲折を「フォーラムシネマネットワーク」専務取締役であり番組編成を担当している長澤純さんにうかがった。

番組編成も担当している専務取締役の長澤純さん(撮影:中山治美)

都心とは違う雰囲気を味わえる理由

 フォーラム山形は、アジア最大級のドキュメンタリー映画祭「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(以下、YIDFF)上映会場の一つとして、映画祭の参加者にはお馴染みの場所。5スクリーンを擁するシネコン形式だが、都心のシネコンとは一味違う雰囲気を持つ。館内外にベンチやソファーが多数並べられており、「次は何を観ようか」と上映スケジュールを思案したり、小腹を満たしたり、上映作品の感想をワイワイとみんなで語り合ったりと、憩いのスペースがたっぷりあって実に居心地がいいのだ。

シネコンスタイルだが、ロビースペースは観客が寛げるよう余裕ある空間に(撮影:中山治美)

 このせせこましい時代において、時間と空間に余裕を持たせる映画館の方針は、同じビル内で運営している駐車場料金にも表れている。「フォーラム山形利用者は4時間無料」。通常、映画の上映は約2時間なのでプラス1時間の3時間あたりが妥当と思われるが、あえて4時間にしているところに意味がある。

 「立地的に山形駅に近く商業施設も多いので、残りの時間は散策でもして街自体を楽しんでいただければと思っています」

 さすが! 地域に根ざし、街中で映画の火を灯し続けてきた映画館は細部の心配りが違う。

駐車料金4時間無料は「映画と共に周辺での買物や飲食も楽しんで」の思いから(撮影:中山治美)

こだわりの映画館ができるまで

 山形市香澄町にある現在のフォーラム山形は2代目。初代は1984年7月、同市大手町に誕生した。母体は自主上映サークル「山形えいあいれん」のメンバー。当時は山形どころか仙台にもアート系の映画館はなく、映画好きは東京まで足を運んでいたという。

 自主上映活動も行っていたが、ホール上映では配給会社がなかなか作品を貸してくれない。ならば自分たちで映画館を作ってしまおうと、立ち上がった。建物・設備合わせての予算は6000万円。「山形えいあいれん」が発起人となって市民から出資金を募った。一口30万円という結構なお値段だったが1000万円が集まり、さらに一口10万円の出資を広く市民に呼びかけた。残りは国民金融生活公庫などからの融資だ。

初代建設時のチラシ(右)とオープン時のチラシ(左:フォーラム10周年記念誌より)

かくして日本初の“市民の映画館”が完成した。その中心となったのが、長澤さんの父親であり、フォーラムシネマネットワークの長澤裕二代表だ。

 「映画館を1から作るとなった時、さすがに『どこかの建物を借りればいいんじゃないか』とか『リスクを背負って潰れたらどうするんだ?』という声が上がったし、映画業界の人からも厳しい反応はあったようです。しかしそうした反発が原動力となった。『自分たちの理想の映画館を作ろう』と、椅子にもこだわり、試作品を並べてみんなで座り心地を確かめ合いながら決めたそうです。ほか、清潔なトイレに、足音が響かないよう床にカーペットを敷き詰めるなど、当時としては画期的なことでした」

映画館の幕開けと活動

 スクリーンは封切り用(97席)と名画座用(48席)の2つ。スティーヴン・スピルバーグ監督『未知との遭遇』(1977)と、ヴィットリオ・デ・シーカ監督『ひまわり』(1970)で幕を開けた。この2スクリーン体制は、いつか映画館を経営しようと、長澤代表が仙台「東北劇場」(閉館)と福島「原町文化劇場」(同)に“丁稚奉公”していた経験が生かされたという。映画ファンというだけでは、運営を続けていくのは難しい。片方が不入りだった時に備えて、片方で経営を支えるというリスクヘッジを考えてのものだ。

 しかし当時発行されていた会報誌「フォーラムだより」を閲覧してみると、市民みんなで映画をより深く楽しんでいこうとする熱気がうかがえる。毎週水・木曜日は誰でも参加でき、映画館への要望などを話し合うフォーラムを開催。俳優・田村高廣や崔洋一監督らを招いての「フォーラム映画学校」や、さらには市民映画祭も開いた。

今年の10月16日にはスクリーン5(200席)でシンポジウム「やまがた創造都市国際会議2019〜世界とつながる映画のチカラ〜」を開催。(写真右から)大友啓史監督、俳優・眞島秀和、NHKの倉崎憲ディレクターが登壇した(撮影:中山治美)

 フォーラム山形立ち上げメンバーの中には、YIDFFの実行委員として活躍している方もいる。今や山形市はユネスコ創造都市ネットワークに映画分野で加盟認定されるまでに至ったが、当時のメンバーの地道な活動があってこそなのだ。

 「市民株主の方とは株主総会や忘年会でお会いしますが、経営的な話は一切ないですね。むしろ『あの映画はいつやるの?』とか『あの映画はなぜ上映しなかったの?』という映画の話題ばかり。株主というより、フォーラム山形の応援団という感じです。たとえフォーラム山形が閉館したとしても『夢を買ったと思って出資したんだ』とおっしゃってくれています」

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