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【個性的すぎる映画館】世界一と評された伝説の映画館 山形「グリーン・ハウス」がスクリーンに蘇る

 「西の堺、東の酒田」と称された商人の町・山形県酒田市に、映画評論家・淀川長治氏が「世界一の映画館」と評した伝説の映画館「グリーン・ハウス」があった。1949年5月17日に洋画専門館としてオープン。贅を極めたデラックス映画館として人気を集めたが、1976年の「酒田大火」の火元となり、焼失。今はなき映画館の在りし日の姿がドキュメンタリー映画 『世界一と言われた映画館』(2019年1月5日公開)としてスクリーンに蘇り、再び注目を集めている。

『世界一と言われた映画館』 有楽町スバル座にて2019年1月5日(土)よりモーニングロードショー (c) 認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭

淀川長治氏絶賛「これ以上のサーヴィス不可能」

 酒田市は山形県の北西に位置し、日本海に面する人口11万の小都市。歴史的な建造物も数多く残り、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』(2008)のロケ地としても知られる。江戸時代から商人の町として栄え、映画全盛期にはいくつもの映画館で賑わいを見せていた。中でもひときわ贅沢な造りで知られたのが「グリーン・ハウス」だった。

  『おくりびと』ロケ地紹介はこちら

『地上最大のショウ』のゾウや空中ブランコの女性が飛び出した看板も豪華(1954年)

 回転扉を抜けると、老舗焙煎メーカー「コクテール堂」のコーヒーが薫り、バーテンダーの居る喫茶スペースが迎える。上映ベルの代わりにグレン・ミラーの名曲「ムーンライト・セレナーデ」が流れると、暗がりの中で映画が始まる……。2階には10人程度が名画を鑑賞できる「シネ・サロン」を併設。ここはコーヒー1杯程度の値段で鑑賞可能で、喫煙室の小窓から映画を観ることができる。建物に入ってすぐの長いアプローチでは、ハンドバッグなど婦人ものが売られていた。

『ジョーズ』を上映した1975年当時の劇場入口はサメの口に!

 ホテルのような雰囲気のロビー、ビロード張りの椅子等、その当時東京の映画館でも存在しなかった設備やシステムを取り入れ、時折、音楽リサイタルも開催。淀川長治氏はグリーン・ハウスの焼失を惜しみ、「わたしの心に残る映画館」として取り上げた。「こんなのが東京にあればたちまち超満員となるであろう。良心的というよりもこれ以上のサーヴィスは不可能というくらいここは珍しい映画館だった」(「スクリーン」1979年7月号、近代映画社刊)。

音楽リサイタルが行われることも

 グリーン・ハウスは1946年、酒造メーカー「東北銘醸株式会社」の創業者、佐藤久吉氏がダンスホールを改装して開業。翌年、20歳の長男、佐藤久一氏(1930~1997)が日本大学芸術学部を中退し、支配人となって腕を奮った。スクリーンの脇に生花を絶やさず、座席カバーが少しでも汚れたら取り替えるなど極上のホスピタリティを提供した。ヒットの見込みの是非に関係なく、ぜひ観てもらいたいと思った作品は積極的に上映した。当時、映画は東京での上映が終わってから地方へという流れだったが、1960年にはアラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』を東京と同日公開させ、話題になった。

スクリーン脇には、常に生花が飾られていた

 佐藤久一氏はこんな言葉を残している。

 「生きることの悩み、苦しみ、悲しみ、そして喜びのなどの一切の縮図が映画館の中に繰り広げられる。(中略)私は映画が皆さんから強い共感を得られた時ほど幸福なことはない。私はこの幸福を味わいたいためにもよりより映画を、そしてよりよい環境を創り出す仕事に今後も全力を尽くしたいと思っている」(1958年5月発行「グリーンイヤーズ300回記念号」より抜粋)

グリーン・ハウスの小冊子「グリーンイヤーズ」の記念すべき第1号

戦後有数の大火の火元となり焼失

 しかし、1976年10月29日、同館のボイラー室から失火。酒田大火の火元となり、1,774棟を焼失、死者1名、罹災者3,300名という大きな被害を出した。焼失区域22.5ヘクタールは東京ドームの5個分に相当し、戦後有数の大火となった。

1976年、同館からの失火が戦後有数の大火へと発展してしまった

 大火の起きた日に上映されていたのは大島渚監督の『愛のコリーダ』。同作が表紙を飾る当時の「グリーンイヤーズ」最新号は、出火日と同じ数字が並ぶ1029号。奇妙な符合だった。

『愛のコリーダ』が表紙の「グリーンイヤーズ」1029号

いまも人々の心に強く残る映画館

 グリーン・ハウスをめぐる証言を集めたドキュメンタリー『世界一と言われた映画館』を監督したのは、山形県天童市在住の映像作家、佐藤広一氏。当初は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」で上映される短編として企画された。

 「素晴らしい映画館だったという話は山形の映画関係者から聞いていました。同時に酒田大火の火元となったという負の歴史も併せ持っているので、タブーと言わないまでも触れにくい題材でした。しかし、大火から40年以上が経ち、関係者の高齢化も進んでいるので、何かを残したいと思いました」と佐藤監督は語る。

佐藤広一監督も山形県出身(撮影:平辻哲也)

 映画には、日本を代表するカクテル「雪国」を考案した酒田の伝説のバーテンダー、井山計一さんを始め、消火活動に当たった消防士、従業員、映画ファンらが在りし日の映画館を偲び、急逝した名優・大杉漣氏がナレーションを務める。「取材する中、佐藤久一さんの印象的な言葉が見つかり、ぜひ大杉さんに読んでもらいたいと思いました。関係者を通じてお願いすると、ギャラの話をする前に快諾いただきました」と佐藤監督は明かす。

 大杉さんは、映画館、フレンチレストランの経営、そして、恋に生きた佐藤久一氏の波乱の人生を描く山形放送局開局60周年記念ラジオドラマ「港町の幸福な昭和~日本一と世界一を酒田から発信した男」(2013)に出演した縁もあった。

同館の歴史を感じさせる小冊子「グリーンイヤーズ」(撮影:平辻哲也)

 「映画館はいつ、誰とどんな映画を見たかという記憶とともに残るものだと思いますが、今はそんな個性的な映画館は減ってしまったのが残念です」と佐藤監督。

 グリーン・ハウスは映画の中で、人々の記憶の中で、今も輝きを放っている。

グリーン・ハウス
座席数 349
営業期間 1949年5月17日~1976年10月29日
『世界一と言われた映画館  酒田グリーン・ハウス証言集』 有楽町スバル座にて2019年1月5日(土)よりモーニングロードショー WEB

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