グーグーだって猫である [2008年9月6日公開]
ヘアスタイルから見る物語
- MUSIC MINDさん
- (性別非公開|年代非公開|レビュー数:718件)
- 2011/11/17 21:26
殺陣というものは争っているように見せながらも、あくまでも決まった‘構成’を守らなければ‘活劇’として成立しないものであることは、本作の中盤で展開される殺陣のシーンを見れば分かることである。以下はもしもこの殺陣のシーンが犬童一心監督の悪ふざけではなくて、そのような‘構成’が本作に密かに組み込まれているという暗示であるという前提で論を進めていくことになる。
主人公の小島麻子が飼っていた猫のサバとグーグーに施した避妊手術に対する因果応報としての麻子の卵巣ガンの罹患とそこからの回復という本作のメインストーリーは誰でも見れば分かることなのであるが、問題はそのメインストーリーに潜んでいるサブストーリーである。
先ず本作を観て誰もが思うことは、小島麻子を演じる小泉今日子は、どうしてあのようなソバージュヘアをしているのかということである。もしもこの問いに答えがあるとするならば、あと2人同じようにソバージュヘアをしているキャラクターがいるからであり、この3人がリンクすることで思いがけない物語が生まれるからである。一人は小島麻子のアシスタントであるナオミであり、もう一人は、ある時は劇と観客を繋げる‘語り部’として、ある時は劇中の英会話教師として、ある時は死神として臨機応変に登場するポール・ウェインパーグである。3人のソバージュヘアは絶妙で、年齢が高いほど髪が長くなり‘ソバージュ度’が強くなり、ついでに語学も堪能になる。あの世からサバを連れてこられるポール・ウェインパーグは外国人であるから言うまでもないが、飼い猫に‘サバ(Ca va)’というフランス語や‘グーグー(Good Good)’という英語で名付ける麻子のみならず、象に母国語のタイ語で語りかける飼育員が羨ましかったために、自分自身も動物とコミュニケーションを取りたいという隠された目的がナオミのニューヨークへの‘語学留学’ではないのであろうか。
久しぶりに再会したサバが少女であった理由は、麻子が少女マンガの執筆に夢中で十分にかまってあげられなかったサバに懺悔することと同時に、いつの間にか自分自身も老いていたことで‘少女’という‘若さ’に別れを告げるためであろう。
‘サバ(=大丈夫)’や‘グーグー(=良し良し)のみならず、舞台となる吉祥寺の吉祥とは「良い前兆」という意味であり、物語は予め暗さを封印してある。ただサバに対する反省から、麻子は部屋の壁に出入口を作り、グーグーに自由を満喫させる。確かにグーグーは外で遊び回っていてもきっちりと家に帰ってくるしっかり者なのであるが、しっかり者であるが故に麻子にはサバ以上にかまってもらえず、ラストも独りで散歩をするはめになる。「グーグーだって猫」なのである。
主人公の小島麻子が飼っていた猫のサバとグーグーに施した避妊手術に対する因果応報としての麻子の卵巣ガンの罹患とそこからの回復という本作のメインストーリーは誰でも見れば分かることなのであるが、問題はそのメインストーリーに潜んでいるサブストーリーである。
先ず本作を観て誰もが思うことは、小島麻子を演じる小泉今日子は、どうしてあのようなソバージュヘアをしているのかということである。もしもこの問いに答えがあるとするならば、あと2人同じようにソバージュヘアをしているキャラクターがいるからであり、この3人がリンクすることで思いがけない物語が生まれるからである。一人は小島麻子のアシスタントであるナオミであり、もう一人は、ある時は劇と観客を繋げる‘語り部’として、ある時は劇中の英会話教師として、ある時は死神として臨機応変に登場するポール・ウェインパーグである。3人のソバージュヘアは絶妙で、年齢が高いほど髪が長くなり‘ソバージュ度’が強くなり、ついでに語学も堪能になる。あの世からサバを連れてこられるポール・ウェインパーグは外国人であるから言うまでもないが、飼い猫に‘サバ(Ca va)’というフランス語や‘グーグー(Good Good)’という英語で名付ける麻子のみならず、象に母国語のタイ語で語りかける飼育員が羨ましかったために、自分自身も動物とコミュニケーションを取りたいという隠された目的がナオミのニューヨークへの‘語学留学’ではないのであろうか。
久しぶりに再会したサバが少女であった理由は、麻子が少女マンガの執筆に夢中で十分にかまってあげられなかったサバに懺悔することと同時に、いつの間にか自分自身も老いていたことで‘少女’という‘若さ’に別れを告げるためであろう。
‘サバ(=大丈夫)’や‘グーグー(=良し良し)のみならず、舞台となる吉祥寺の吉祥とは「良い前兆」という意味であり、物語は予め暗さを封印してある。ただサバに対する反省から、麻子は部屋の壁に出入口を作り、グーグーに自由を満喫させる。確かにグーグーは外で遊び回っていてもきっちりと家に帰ってくるしっかり者なのであるが、しっかり者であるが故に麻子にはサバ以上にかまってもらえず、ラストも独りで散歩をするはめになる。「グーグーだって猫」なのである。
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