20世紀ノスタルジア
ロッテンマアヤ 「ヒロスエ奇行の原点かも?でも内容はマーベラスッ!」 ざます
ものすんごく好き嫌いが分かれる映画だと思います。嫌いだ(肌に合わない)と思ったら、恐らくヒロスエ登場後、10分ほどたって、一人で橋の上でビデオまわしながら歌っているシーンでリタイアでしょう。「なにこれ?ぷっつん?」ってな感じで。でも、私、実はとっても気に入ってしまいましたの、この映画。メルヘン?ファンタジー?オカルト?なんとも型にはめがたいこのタッチに、ほれてしまったわさー。感覚がぴったりあってしまったのさ。
ヒロスエが「とってもとってもとってもとっても・・・♪」調で突然歌いだした時には、思わず早送りをしかけてしまいましたがね。
徹は、自分が世間に馴染めないことを<宇宙人>にしてしまっています。それを本気で思いこむ(自己暗示)ことで、普通じゃないと感じている自分を、逆に普通だ(変なんだから当然だ)としている、とっても繊細でキュートな男の子です。みんなみたいに人と接することができないんだから、じゃあ、変態になっちゃおう!みたいな。だからきっとこんな自分をわかってくれる人なんて、この世にいないと思っていたのでしょう。ところがどっこい!<変態>がもう一人いたなんて。それが杏(ヒロスエ)。最初は面白がって宇宙人のフリしちゃおう!っていう軽いノリだったのが、徹の浮世離れした魅力に触れるうちに「わたしは宇宙人じゃないよー。人間の女の子とそれから男の子として、ちゃんと恋愛したいよー」っていうせつない気持ちが伝わってきます。でもでも、杏は気付いていなかったかもしれないけれど、それよりも先に徹の方が意識していたのですよ。杏が無邪気に徹に接近すると、彼は「息が苦しい〜」などといって、わざと倒れてみせたり。だけど、彼にとって宇宙人をやめるということは、世間に馴染んで普通の人と同じ行動をしなければならない、つまり、とっても酷なことなんですよね。だから、杏に対する自分の気持ちを、こっそりとビデオに撮ってオーストラリアに行ってしまったのです。だって、杏が自分に対してずっと同じ気持ちをもってくれるかなんて、きっと自信がなかったでしょうしね・・・。でも、杏は頑張った。映画を編集して完成させることで、自分の変わらぬ思いを伝え、そして徹も受け止める。徹が帰ってきたときに、アボリジニの笛を吹いていたシーンでは、彼が宇宙人を脱却して、本来の自分として杏と向き合ったせいか(演技力)、はたまた撮影が長引いて成長したせいか、えらい男前になっていてびっくりしました。
この映画のことをいろいろと知りたくて、調べたところによりますと、オーディションで受かった、撮影当時まだ無名のヒロスエが、撮影中に爆発的にブレイクしてしまったせいで忙しくなったのか、一時撮影が中断。夏に徹と自主映画を作った時と、秋に一人で編集するのでは、時間的に差があるみたいです。監督は、ずっと自主制作の映画をやってきたようで、これが初の興行映画だったそうですが、それだけにヒロスエがブレイクしてしまって単なるアイドル映画になってしまうことを危惧し、一時は本当にヒロスエのままでいいのか降板させるか悩んでいたそう。この相手役の男の子は、大学に通っているところを監督が「イメージぴったり!」とスカウトしたそう。彼らが名乗る宇宙人名の「チュンセ」と「ポウセ」は宮沢賢治の「ふたごのほし」からとっているそうです。見たくなりましたね。
撮影場所は清洲橋、それからハトバスツアー、浅草、など、おのぼりさんやおばあちゃんたちがむらがるコースなのですが、なぜかそれが現実離れしたエキゾチックな雰囲気を醸し出しているから不思議。
それから、余貴美子のありえないぶっとんだ母親像も、だから杏が宇宙人になりきれたんだなあと思わせられます。
徹が崖から転落死をするという考案もあったようですが、私はこの結末で本当によかったと思います。自分はちょっと人と違うんじゃないか?そう思って世間に溶け込めないでいる人たちに、それでもいいんだよ、きっと君をわかってくれる人はどこかにいる、そうエールを送っている映画なんじゃないかなと思います。
ヒロスエが「とってもとってもとってもとっても・・・♪」調で突然歌いだした時には、思わず早送りをしかけてしまいましたがね。
徹は、自分が世間に馴染めないことを<宇宙人>にしてしまっています。それを本気で思いこむ(自己暗示)ことで、普通じゃないと感じている自分を、逆に普通だ(変なんだから当然だ)としている、とっても繊細でキュートな男の子です。みんなみたいに人と接することができないんだから、じゃあ、変態になっちゃおう!みたいな。だからきっとこんな自分をわかってくれる人なんて、この世にいないと思っていたのでしょう。ところがどっこい!<変態>がもう一人いたなんて。それが杏(ヒロスエ)。最初は面白がって宇宙人のフリしちゃおう!っていう軽いノリだったのが、徹の浮世離れした魅力に触れるうちに「わたしは宇宙人じゃないよー。人間の女の子とそれから男の子として、ちゃんと恋愛したいよー」っていうせつない気持ちが伝わってきます。でもでも、杏は気付いていなかったかもしれないけれど、それよりも先に徹の方が意識していたのですよ。杏が無邪気に徹に接近すると、彼は「息が苦しい〜」などといって、わざと倒れてみせたり。だけど、彼にとって宇宙人をやめるということは、世間に馴染んで普通の人と同じ行動をしなければならない、つまり、とっても酷なことなんですよね。だから、杏に対する自分の気持ちを、こっそりとビデオに撮ってオーストラリアに行ってしまったのです。だって、杏が自分に対してずっと同じ気持ちをもってくれるかなんて、きっと自信がなかったでしょうしね・・・。でも、杏は頑張った。映画を編集して完成させることで、自分の変わらぬ思いを伝え、そして徹も受け止める。徹が帰ってきたときに、アボリジニの笛を吹いていたシーンでは、彼が宇宙人を脱却して、本来の自分として杏と向き合ったせいか(演技力)、はたまた撮影が長引いて成長したせいか、えらい男前になっていてびっくりしました。
この映画のことをいろいろと知りたくて、調べたところによりますと、オーディションで受かった、撮影当時まだ無名のヒロスエが、撮影中に爆発的にブレイクしてしまったせいで忙しくなったのか、一時撮影が中断。夏に徹と自主映画を作った時と、秋に一人で編集するのでは、時間的に差があるみたいです。監督は、ずっと自主制作の映画をやってきたようで、これが初の興行映画だったそうですが、それだけにヒロスエがブレイクしてしまって単なるアイドル映画になってしまうことを危惧し、一時は本当にヒロスエのままでいいのか降板させるか悩んでいたそう。この相手役の男の子は、大学に通っているところを監督が「イメージぴったり!」とスカウトしたそう。彼らが名乗る宇宙人名の「チュンセ」と「ポウセ」は宮沢賢治の「ふたごのほし」からとっているそうです。見たくなりましたね。
撮影場所は清洲橋、それからハトバスツアー、浅草、など、おのぼりさんやおばあちゃんたちがむらがるコースなのですが、なぜかそれが現実離れしたエキゾチックな雰囲気を醸し出しているから不思議。
それから、余貴美子のありえないぶっとんだ母親像も、だから杏が宇宙人になりきれたんだなあと思わせられます。
徹が崖から転落死をするという考案もあったようですが、私はこの結末で本当によかったと思います。自分はちょっと人と違うんじゃないか?そう思って世間に溶け込めないでいる人たちに、それでもいいんだよ、きっと君をわかってくれる人はどこかにいる、そうエールを送っている映画なんじゃないかなと思います。
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